サッカーワールドカップ2010の燃える夏3

ドイツの“神託タコ”の「パウル君」の予言通り、スペインは初優勝しました。

毎回のワールドカップは予想外の結果が多くて、今回はタコを起用しました。遊び心でしたが、見事に大当たりで、的中率はなんと100%でした。驚きと奇跡の声が世界中に広がっています。

もっと驚いたのは、中国のメディアでは「タコ占い」は幕後の人が操る陰謀だと言う論調が広がっていることです。タコの好きな餌を優勝したいチームの国旗に置いて、世界を嘲弄したということです。

中国のサッカーのスキャンダルが多すぎるお陰で、中国人はきれいなサッカー、実力のサッカーを信じられなくなりました。タコの予言は只の遊びとして、軽く取れないのは、中国人だけですか?

サッカーワールドカップ2010の燃える夏2

準々決勝でドイツは4:0でアルゼンチンを圧勝しました。この誰も予想しなかった結果はあまりにも衝撃で、まるで夢のようでした。アルゼンチンに涙を、ドイツに喝采を与えました。

「ドイツの若者の覇気はアルゼンチンの名選手の誉れを勝った」とか、「団体主義は個人英雄主義を勝った」とか「ヨアキム・レーウ監督はマラドーナを勝った」など様々な言い方があります。

私は一番感銘したのはヨアキム・レーウ監督の話です。「試合の成績や、ランキングなど、我々のするサッカーの唯一の基準ではないです。我々がどんな態度で、どんな目標で、どのようにサッカーすることを重んじます。」

その主旨により、2000年以降、ドイツサッカー協会は草ね運動を展開し始めました。毎年2000万ユーロを費やし、全国の366箇所のサッカークラブや学校に、コーチを派遣し、14000名の11~14才の少年を訓練したそうです。この措置により、ドイツ全体のサッカー選手のレベルをUPしました。

草根運動は正にサッカー代表のパワーの源です。ドイツはしました。2010ワールドカップの優勝の希望を与えてくれます。日本と韓国はしました。8強に入らなかったですが、世界に感動を与えてくれました。中国は何時草根運動を展開しますか?

急に心が痛くなりました。

サッカーワールドカップ2010の燃える夏1

ワールドカップの熱戦によって、サポーターだけではなく、普段サッカーをあまり見ない私たちも熱くなりました。テレビの前に釘付きで、南アフリカの青空の下で、選手の素晴らしい球技、サポーターの熱狂な姿、がっかりした姿に惹かれています。嬉しい涙、哀しい涙、悔しい涙が溢れる南アフリカは今世界の中心になり、この夏は、ワールドカップによって、燃えています。

ワールドカップ直前の試合が、サッカー日本代表は全敗でした。日本国民をがっかりさせた侍ジャパンは、南アフリカに着いて、変身したように決勝トーナメントまで進出しました。岡田監督の話によると、それは失敗に思い詰めて、背水の陣の気持ちで戦った結果です。正に、中国語で「置于死地而后生」(死地に陥れて後生く、絶体絶命の窮地に陥れ、決死の覚悟をもたせてから戦ってはじめて、活路を見いだすことができるということ)の侍ジャパン版です。しかし、なかなかワールドカップに出場ができないサッカー中国代表はその言葉を忘れているようです。

また、韓国代表は必死に頑張りましたが、8強に入れなくて、選手達は涙を流しながら、サポーターに謝罪しました。それを見て、私は急に悲しく思いました。中国のサッカー選手は高収入なのに、彼らに関わるスキャンダルを絶えず、サポーターの期待の大きいなのに、いつも負腰です。それにも拘らず、中国のサポーターはずっと中国サッカーチームを愛しています。しかし、中国サッカーチームは負けても、選手達は言い訳ばかりして、サポーターに詫びる言葉は一言もなかったです。

今年こそ、中国のサッカーチームは日本代表と韓国代表の素晴らしいプレーとサポーターを大事にする姿を見て、いい手本を見習い、「置于死地而后生」の覚悟を心に刻み、サッカーに対する情熱で目が覚めて、ワールドカップの会場で、サッカー中国代表は堂々と戦う日が早く来ますように。

願いを星に。

「孤高のメス」の暖かい繋がり

先日、堤真一のファンの私は話題作の映画「孤高のメス」を見ました。タイトルはクールな感じですが、実はとても暖かいラブストーリを語り、深い感動を呼び起こしました。

以下、あらすじを書いているので、まだ見ていない人は注意してください!

地方都市の医者の誤診により、お母さんを亡くしたことを契機に、当麻先生は地方医療に献身する医者になろうという夢を持ち始めました。その夢をずっと、当麻先生の心に留め、「目の前の患者さんだけを救いたい」という強い信念で、命をたくさん救いました。彼の立派な姿、純一の目に感動されて、まともな外科手術さえできなかった地方都市の市民病院は変化を起こしました。医者のメンズより、世俗のタブーより、患者さんの命を大事にするようになりました。

交通事故で脳死の少年の肝臓は肝硬変で危篤な市長の体に移植し、生前人助け好きの少年の情熱は市長と繋がり、障害者のため、立派な福祉館を建てました。脳死の少年のお母さんは市立福祉館で勤め、息子さんとの繋がりを感じています。

当麻先生と一緒にオペをした看護婦さんの死後、息子さんはお母さんの日記を読んで、お母さんの気持ちが分かり、東京の医師の仕事を辞め、地方医療に献身しようと決意しました。

赴任先で、院長は元の当麻先生だと分かった途端、息子さんは微笑みました。最後のシーンはとても暖かく感じました。

映画館で、音楽が流れ初め、私は中国の似た実話を思い出しました。40代の息子さんは70代お母さんに腎臓移植をしました。この親子の愛は中国全土で賞賛され、感動されました。

出会いと別れを繰り返す中、どんなに愛し合い、信頼しあった親子でも、夫婦でも、いずれどちらか先たち、分かれなければ、なりません。人間とは哀しいものだと思い、人生は残酷だと思いますが、この映画は、人と人は別れても、繋がりがあり、ぬくもりがあり、希望を与えてくれます。

お勧めです。