由来:6.「結婚」は最初から「marry」の意味ではなかった?

안녕하세요0(^0^)0 크리스탈이에요.

일주일이 넘(너무) 잘 가네요. 어느새 금요일,,,일본에서는 오늘같은 날을 花金이라고 하죠? 한국에서는 황금같은 주말이라고 해요.

(一週間があまりにも早すぎますね。いつのまにか金曜日、、、日本では今日のような日を花金といいますね?韓国では黄金のような週末といった言い方をします。)

자,, 오늘도 이 시간이 돌아 왔네요. 기뻐요!! 싱글벙글 ^^

今日の話は韓国で使われている結婚するの「결혼하다」と婚姻するの「혼인하다」の語源についてお書きいたします。

日本では結婚するや婚姻するといった表現は「marry」の意味で意味の相違はなさそうです。もちろん韓国でも今日は日本と同じく「결혼하다」と「혼인하다」は「marry」の意味で使われていますが、一昔はそれぞれ別の意味を持っていたと言います。

婚姻するの「혼인하다」が本来の「marry」の意味であって、結婚するの「결혼하다」は「誰々と婚姻することを決定した」意味でした。したがって、太郎と次郎が「결혼하다」は、太郎の子供と次郎の子供が婚姻することが決まったという意味でした。

「결혼하다」の表現が「혼인하다」と同じ意味を持つようになったのは、日本からの影響によるものです。

日本では明治時代に英語の「marry」の言い方を翻訳できる対訳語がなかったため、「marry」の言葉を「結婚」にあてたようです。その以前は、日本も結婚する意味としては「婚姻」、「婚礼」、「祝言」などの用語が用いられたのですが、、「marry」の意味として対訳された「結婚」が定着してからは日本も「婚姻」の意味として「結婚」の用語が定着したそうです。

今日は、日韓どちらも「marry」の意味として「결혼하다」と「혼인하다」が使われていますが、婚姻の「婚」は花嫁側を意味し、「姻」は花婿を意味する言葉です。その言葉から、昔の韓国式の婚礼は花婿がまず花嫁の家に行って婚礼をあげてから花嫁をつれて本人(花婿)の家に入ることが婚姻でした。

その名残から韓国では未だに女性が結婚することを「시집간다」といい、男性が結婚することを「장가간다」と言います。「시집간다」の「시집」は婚家の意味で、そのほかにも「시어머니」(=姑)、「시집살이」(=嫁いびり)などの言葉もあります。また、「장가간다」の「장가」は「丈家」の漢字語で奥さんの実家の意味し、妻の両親を「장인,장모」(=妻の父、母《丈人、丈母》)言います。

由来:5.日韓文化の違い「引越し」と「이사」

여러분 ^0^  안녕하세요. 크리스탈입니다

장마철인데도 요즘에 별로 비가 안 오네요 (梅雨入りなんですが、雨はあまり降っていないですね)

もう今日で韓国語の語源や文化を知る5回目の記事となりますが、今までの韓国語の語源を楽しんでいただいているのでしょうか?今日のテーマは日韓の「引越し」文化について書きたいと思います。

日本はどうでしょうか?引越しをする際に何か気を使うことやまた新しく引越しされた先で行う習わしなどがありますか?たぶん真っ先に浮かんでくるのは新しく住まわれる所の隣人や家主に配るタオルや洗剤のような実用品、お菓子などではないでしょうか?そのほかには昔から配っている引越しそばのことを思うでしょう。そうですね。今は簡単に配れる実用品やお菓子が多いと思いますが、以前は引越しそばを配っていたでしょう。

では、日本では引越しするといつからなぜ引越しそばを配り、隣人や家主にどれくらい配っていたのでしょうか?

知っている方も多くいると思いますが、引越しそばは江戸時代から現在の東京を中心として行われた習わしで、家主には5個、隣には2個ずつ配ったようです。意味としては「そば」という単語に「蕎麦」意外にも「すぐ近く」や「傍ら」などの意味をもつ単語もあって、その意味から「そばに末長く」お付き合いしたいとの意味が込めえられています。

しかし、引越しそばも江戸時代から配られた風習であって、その以前にはそば代わりに生小豆や煎り小豆、もしくは家移り粥(=小豆粥)を作って配っていたと言います。小豆粥からそばに代用品されたのは下記の江戸時代の文献にもみえますが、手軽く配りたがったようです。

「引つ越すくらいのことで,小豆がゆでは,あいさつが丁重すぎるから,そばにすれば安く濟む。」

なるほど。江戸時代には小豆よりそばがずいぶん安かったし、わざわざ作った熱い小豆粥を配ることがいかに面倒だったのかわかりますね。けれども引越し先で小豆粥を配っていたことは韓国の引越し文化と凄く似ているような気がします。

 韓国でも時代によって引越しに関する風習は若干変わってきましたが、最初の頃は小豆粥を作って家に遊びに来た人に配っていたし、また近所には小豆餅を配る風習がありました。この小豆粥や小豆餅を人にもてなしたり配ったりするのは、赤色をしている小豆は邪気払いとともに隣人とスムーズにお付き合いをして幸せに暮らしたいとの素朴な願いが込められています。今は大都会のソウル、釜山などでは廃れる気味で、引越しの祝いに招待された人には小豆粥の代わりに家庭料理でもてなししてわいわいと一時を過ごします。また引越し祝いに招待された人達は、引越ししたひとが新しい住居で繁栄して幸せに暮らすことを願って、トイレットペーパーや洗剤を持っていきます。どちらも実用品でもありますが、洗剤は泡がでて膨らむことから金持ちになることを意味し、トイレットペーパーは長いので健康に長寿する意味があります。だけど、不思議なことにここ数年前(10年前後)から引っ越した人は(時には引越しセンターの人達とともに)「자장면」(=ジャジャメン)を食べています。

由来:4.日本から入ったサツマイモの「고구마」とその名の由来

どこの国にも関わらず隣国同士、もしくは関わりがあった国から影響を受けることはしばしばあってそれが定着すると人々は何気なく使うことになります。そういった現象は日本や韓国にもずっと前からあり、今も母国語のように使われています。

日本には「高麗~」の固有名詞がくっついた地名などが多くあるし、「キムチ」、「プルゴギ」、「チマ・チョゴリ」などといった韓国語をそのまま用いて使われることも少なくありません。それに語源が韓国語からなりたっている「バッチ」、「ノッポ」、「ツル(鶴)」も日本語の中で生き続けています。

上記のようなことは韓国の中にも存在し、日本語をそのまま用いて使っている言葉がたくさんあります。「うどん」、「すし」、「焼き~」などがそれです。また語源が日本語から成り立っているものもありますが、それは「고구마(サツマイモ)」、「담배(タバコ)」などがあげられます。「담배(タバコ)」については別の機会に紹介することにして、今回はサツマイモの「고구마」について書いてみたいと思います。

韓国で現在もサツマイモを「고구마」と言いますが、本来は日本語の「孝行芋(=こうこういも)」が訛って定着したものです。

「孝行芋」とは今のサツマイモをさしますが、江戸時代(1732年)の享保大飢饉や稲作が困難な対馬で百姓達の救荒用作物として用いたことからつけられた名前であり、最初から上記の名がつけられたわけではありません。では、最初はどんな名前だったのでしょうか?

そもそもサツマイモは南米で取れるもので、日本に入ったのは1604年野國総管(明への進貢船の事務職長)によってひとまず琉球国(現沖縄)に入りました。その名残で琉球国では「カライモ」と呼ばれていたようです。その後、琉球国から薩摩(現在の鹿児島県)へ入ることになり、また薩摩から本州に入ります。本州(江戸)では、サツマイモが薩摩から入ったことにより、サツマイモの名が定着したと言います。このサツマイモは次第に本州に広まりますが、1732年に起きた享保の大飢饉の時には救荒用作物として大活躍をなします。

韓国では江戸時代以前から日本と外交貿易とともに外交使節団である通信使を派遣していたのですが、1764年に来日した通信使のリーダ趙嚴(1719~1777:朝鮮時代の官僚)により、サツマイモが入っていくようになります。彼は韓国の釜山で行政長官を歴任していたこともあり、常に飢饉などで苦しんでいた百姓のため、飢饉対策を考えていたところ、来日する前から対馬側から聞いていたサツマイモに注目します。日本で日本の文人だちと交流を深めると共にサツマイモの種子と栽培法を得て帰国します。その後、済州道などに試してみますが、対馬の土地と似ている済州道で栽培が成功し、日本と同じく救荒用作物として用いられ、次第に全域に広まっていきます。ちなみに「고구마」の名は、今も対馬では「コグンマ」と呼んでいるようです。言葉って面白いですね^.~